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一応、洗礼を受けたクリスチャンですので、お祈りはします。でも、放蕩息子を自認しておりますので、食事どきの「いただきます」という短い祈りを除けば、神に感謝をすることはほとんどありません。
多くの場合、私の祈りは神への怒りに満ちています。例えば、足が不自由なのに徒歩で通勤を続けてきた通勤仲間が、その不自由な足を癌に侵されとうとう歩けなくなってしまったとき、貧しき家庭の幼き二人の姉妹がお菓子売り場の前で見事なまでに物欲を抑えて見せるとき、涙を流して悲しみに耐えている者を目の当たりにするとき、私は叫びたくなるような怒りを覚えます。その怒りの捌け口が神に向けられるのです。
今年も受験シーズンを迎え、合格祈願の祈りが巷に溢れ返っています。祈願が祈りの基本形であることは今も不動のようですが、神は願いを無条件にはかなえてくれないので厄介です。