>人はなぜ死ぬのか 2006.05.29


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周囲で誰かが死ぬと、多くの人がその理由を知りたがります。そして、その理由とは、自殺、他殺、病死、自然死(=老衰)、事故死などの直接の死因ではなく、多くの場合その死因がその人を襲った理由です。「なぜ、私だけこんな目に遭わなければならないのか?」という類の理由です。

何かのせいにできれば現状打開の行動に移れるという人なら、理由探しにも意味がありますが、理由がわかったら後悔が増すだけの方には、百害あって一利なしですのでやめた方が賢明です。理由探しは、不幸にもひどい目にあったときに、どう対応すればいいのかを決定するためにこそ必要なのです。

不幸な目に遭う理由ですが、やっかいなことに、多くの場合その理由は容易に見つかりません。そんなとき、あなたならどうしますか?霊能者に探してもらいますか?宗教に答えを求めますか?私なら理由探しを断念します。目の前の不幸にどう対応すべきかという答えは、実は理由がわからなくても見つけることが可能だからです。簡単に見つからない場合は多いですが。

さて、目の前の不幸にどう対応すべきでしょうか。答えは、目の前の不幸から目をそらすことです。そらせて平常心を保つことです。あなたが平常心を失うことで、あなたの不幸があなたの愛する人々に伝染していくとしたら、あなたが平常心を保てれば不幸は伝染しないことになります。もちろん、心から湧き出る嘆きを止めることはできませんが、その感情表現を小さくできれば、周りへの影響も最小限に止めることができるのです。自分を強くしたいと思われる方は、是非お試しください。人はどこまでも強くなれます。

強くなる自信のない方におすすめしたいのが、失いたくないものを極力持たない生き方です。不幸の多くは、失うことで訪れます。ですから、最初から失いたくないものをたくさん持たなければいいのです。えっ?無理?そうですか。自分の生存時間が刻々と失われていることにそれだけ無頓着でいられるのですから、無理だとは思えませんが。それに、欲に任せて貯め込むと人生の後半は失うことの連続になりますよ。対策を取らないと不幸ばかりの人生があなたを待っています。

そろそろ締めます。人が死ぬ理由は、自分の子や孫の世代が生きていけるようにするためです。ですから、ただ死ねばいいのではありません。彼らが生きていけるように環境を整えてあげる義務があります。自然環境だけではなく、生きていく知恵も残してあげる必要があります。彼らもあなたと同じように不幸と闘わねばならないのですから、あなたの不幸対策を先人の知恵として残してください。私たちは、死ぬことで彼らが生きていくための肥料になる役目があるのです。

先人の多くがその義務を果たしていたなら、私たちはとっくに人が死ぬ理由を知っていたかもしれません。

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