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悲喜こもごもの父の日が今年もやってきました。珍しく父から電話があり、プレゼントに代えて送った現金への礼と体調の報告がありました。ガンと闘い続けて11年目。相変わらず検査づけの日々に本人も嫌気がさしているはずですが、さすがに息子に弱気なところは見せません。偉大な親父ではあります。
父親が急逝した我が甥は、今日もパソコン三昧でしょうが、「父の日」でにぎわう世間の影響を少なからず受けているかもしれません。残された者が悲しいだけの日にならないためにも、親思う子の心が故人にも伝わることを願うばかりです。
私も家族からチョコの詰め合わせとベルトをもらいました。物をもらっても覚えていたためしがないのですが、身に余る光栄です。結婚も、ましてや人の子の親になることも、願うことすら罪だと思っていましたので、光栄という表現は誇張ではありません。私と二人三脚で生きなければならない女性が出現することや、生き地獄ともいうべきこの世に人を送り出すことは、想像するだけで恐ろしいことでした。彼らの哀しみを目の当たりにすること、そのことを想像するだけで胸が張り裂けそうになるからです。
それが現実になって、やはり想像どおりの辛さを味わうこともありますが、今は、私のようなひ弱な心を持った人々の支えになれる人材に、彼らを育てていこうと腐心しています。やりがいのある辛さです。
父は、私に病との闘い方、死の谷の歩み方を教えてくれました。おそらく、死に方も教えてくれると思います。私は目をそらすことなくそれを学び、私の思いを添えて子に伝えられたらと願っています。落ちになってませんが、終わりよければすべて良しですから、ねっ。