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若者が両親と姉を殺害した理由は、「彼らが自分を殺そうとしていたから」だそうです。その認識は大間違いでしょうが、若者が「死の恐怖」から逃れるために、自分に死をもたらす親兄弟を殺害することは、理解できないことではありません。
自分の命が脅かされたら、誰でも自衛手段に訴えると思います。しかし、自衛手段は社会的に許されている程度のものでなければなりません。人間関係を築けない人は、意思の疎通が不足しているため思い込みが強くなり、信頼関係の希薄さから自己の正当性を盲信するようになります。その結果が、社会的に許されない行動につながっていくのです。
被害妄想は誰もが持っていますが、病的な人が増えているのは、多くの日本人が飢餓の恐怖から解放されているからに他なりません。解放されて安定するはずの精神は、生きていく限り死の恐怖からは逃れられないという現実を人々に再認識させる役割を果たしたのです。しかも、「死」というものが、生命だけでなく、財産や社会的地位や身分を失うことまでも意味する現代では、多くの人が気の休まることのない日常を生きるしかありません。こうなると生きていること自体が恐怖だと感じても不思議ではありません。
生きていく恐怖から逃れるために、多くの人が自殺に走り、宗教にすがり、又は精神を現実逃避(=精神崩壊)させています。自分は大丈夫だと自負される方も、生活苦の解消などに没頭することで精神崩壊を回避させているだけかもしれませんので、まずは「生きていく恐怖」と対峙してみることをおすすめします。